農業の本質は脳業だった。
農作業は基本的には肉体労働。これは誰もが考えるところ。近年は、農作業以外にすべきことが多くある。
一昔前であれば農作業し、収穫した野菜を農協や市場に持って行くだけで良かった。農協にさえ出荷おけば勝手に売ってくれる。そして、2週間後には自分の口座にお金が入ってくるわけだ。
当然手数料を引かれて振り込まれるわけだ。また、市場に持って行けば翌日には現金化できるのである。農家にとってはとても都合の良いシステムである。
農家は農作業に打ち込めるのである。
手塩にかけて育てた野菜がどこに売れようが知ったこっちゃなかった。つまりは、どこで売られ誰が買っているのかも知らなかった。
そこには、物の売買と流通でしかない。
しかし、近年は大きく様変わりしてきている。直売所での販売・小売り・ネット販売・契約取引など農業を取り巻く状況も日々進化してきている!
農業者の高齢化と就農者の減少というダブルパンチのなか、農機具メーカーは自動運転農機なる最新機械を開発、販売してきております。
価格は、従来価格より大きな値上がりということはいうまでもない。省力化というが価格に見合った省力化が出来るのかと考えてみると、いささか疑問符がついてしまう。
工業製品みたいに時間で何個出来るかは見込めない。気候・天候・植物上の特性・購入者意識まど。
もともと、農業は脳業をあまり使わなくてもいいかのように軽んじられてきた節があります。
私が住んでいる地域は田舎です。よく聞く言葉に「サラリーマンをやめて農業でもやるか!」なる言葉使いをよく聞いたものです。
農業を軽視しているかのようなニュアンスが含まれる。
しかし、実際には食べていくための農業をしてみると全く違うことに気がつく。どんなに簡単な作業でも長時間・大量な数を扱うほど脳作業が必要であることに気がつく。
生産規模・人材・効率・省力・収益・組織・営業・販売などと多岐にわたる脳作業が必要になる。これ、なんか見聞きしたことありませんか。大企業の経営体系と一緒ということです。
今一度、農業とは何かを考えるべき時点にきている。これは、農業を行うための根源!
農業を持続繁栄可能なものにしていくために必要な知識である。
どうですか、皆さんの中にもそう考える人は多いのではないでしょうか。
こうした、問題や解決方法を見いだすためにも青壮年部会は重要な役割を果たすのではないでしょうか。

シンプルで自由が高いほど高度な思考が必要
今までのことを踏襲しなが活動していくことは比較的簡単である。しかしだ、全く新しい発想でやっていくことは高度な思考と覚悟が必要になる。
今の時代、どう力を合わせてやっていくのかは大きな課題である。個人主義が謳歌し全体主義が縮小する時代。
これからの時代、本当の意味での協同が必要ではないかとトラクターに乗りながら考える今日この頃である。
今一度よく考えてもらいたい。こんな経験はないだろうか?体を動かしたあと鉛筆を握ったり、細かな作業をしたこと。手が震えたり、作業が進まないなど。
肉体労働は思考を低下させる。私が思うに、体を動かすことは高度に脳を使い、その後の思考時には脳が疲れてしまっている状態。
思考は非常に高度な作業で繊細である。
肉体労働後に思考することは、無意識化で動作反応が顕著出るように思考力にも影響を与えている。
結論から言うと物事をしっかり考えるときには農作業前にすることが大切だということ。
最良は、1日作業しない日をつくり、考えてみることです。
行動は、持続可能な思考と情熱が融合したものだともいえよう。
あらたな農業を創造していくためには「思考と行動」は必須であると自身が実感するものである。